365歩のMarch♪

今の自分にふさわしい未来がやってくる。

 秋 はじめましょうか

今日から10月。


ということは、仕事を始めてから丸6ヶ月。


半年の月日が流れました。


この間、就職、合格、引越などのイベントがありつつも、毎日の生活は代わり映えせず、淡々と過ぎていくようでありながら、不馴れなことばかりであったのかもしれません。


最近になりようやく、ほんの少しだけ余裕ができたのか、そんな気がします。


おそらく、頑張っていたのだと思います、一生懸命だったのだと思います、答えを求めていたのだと思います。


ただ言うまでもなく、その方法や質というのは、これで絶対と言えるものはなく、循環していくことや適度なバランスを保ちつつ成されるものなのでしょう。



そういう意味では、囚われてた、囚われているなぁと、最近、自分を省みて思いました。



つまり、木を見て森を見ず状態。



まぁ、よく知る人は相変わらずだねと言ってくれることでしょう。



理想としては、見るともなく全体を見る




理想と程遠い原因としては気負い、焦りといったところが挙げられるでしょうか。




良くも悪くも、新たな環境に慣れるのに、精一杯になってしまうのは、ある程度仕方のないことではあると思いますが・・・。




何かをしようとする時、それはあたかも自分の意思から生まれる動作であるかのようですが、環境からの情報を脳が勝手に解釈し、自分の体と相談しながら最適な動作を選択し、その運動プログラムを組み立てた上ではじめて、何かをしようという意思が生まれるそうです。


ということは、①環境、②それを受け取る感覚受容器の精度、③受容器からの情報を受け取る脳の解釈の仕方、④解釈を実行に移す形も含めた体の性能によって、行動が決定されるということなのかなと思います。
そしてそれが自分の意思であるかのように錯覚した僕は、実行に移すか否かの判断をしていく。


①の環境は、模様替えや旅行などで変えられる部分もある一方で、限られた生活空間における人間関係のようなものは、簡単には変えがたいものかもしれません。


②〜④は、実際には一つ。身体そのもの。
ピアニストなどのホムンクルスは指や手の占める割合が、通常よりも広いとされています。
と言うことは、よく使うことで感覚精度も運動機能も変化する。


そして脳の解釈の仕方も。


例え話を一つ。

今にもロープが切れそうな釣り橋があるとします。

これを体重40kgの人と、体重が0.1t(つまり100kg)の人が見た時に、この二人はどのように判断するか。

極々単純に考えるならば、40kgの人は「行けるかもしれない」と思うでしょうし、0.1tの人は「無理じゃね」と思うでしょう。

単純に身体の性能と脳の解釈の仕方の関わりを挙げてみました。


でもここで仮定として、40kgの人が昔高いところから落ちてしまって怪我をした経験があり、極度の高所恐怖症だったとしたら…。

0.1tの人が頑丈な釣り橋作り、修理の名人で、今まで何度となく成功してきた人だったとしたら…。

解釈も違ってくるんでしょう。




(突っ込みどころ満載だな。でも、話を進めてみる。)





脳の解釈の仕方。


仮定の話をしたのは、身体の性能を変化させることだけが解釈の仕方を変える方法ではないといいたかった。

つまり、経験によって変わってくるだろうってことで、それは無理矢理だけど記憶ともいえる。

人の記憶ってのは、ニューロンの組み合わせを強固にしたり、パターンを組み替えたりしながら構築されるそう。

ってことは、ニューロンの構築様式を変化させてやれば解釈の仕方も変わってくる。

だから、通り一遍、ワンパターン、ステレオタイプな知識、情報では、いつまでたっても記憶(経験)の構築様式は変化させることができずに、解釈の仕方を変化させにくい。

それでは行動も変わらん。循環不良な状態とも言える。

変革のために新たな知見を得ようとすることは、不可欠なんだろう。



関係ないかもしれないが、記憶に関して一つ。

ニューロンの様々なパターンを構築することで記憶を蓄えていく。

そして、その構築様式には極度にニューロンが密集している箇所があるとのこと。

当然の如く密集した箇所は記憶が鮮明。

例えば、地方の空港より、成田や羽田は様々なルートが密集してある。

地方空港がルートを拡張する際、独自で広げるよりは、成田・羽田にアクセスするのが効率的。

同様に、密集した箇所にアクセスすることが記憶を蓄えるのに効率がいい。

ってことは、ある考え方を知ろうとする時に、その元となる原理原則を押さえておくことが、要領良く知識を得られるコツなんだそうだ。

それはおそらく、時代の移り変わりの中で廃れることなく残る、古典。

ベストセラーよりもロングセラー。

こうした本から知識を蓄えた方が効率的のようだ。

カラー版 カパンジー機能解剖学 I (1) 上肢 原著第6版

カパンディも読みにくいけど、捨てたもんじゃないということか…。

ん。

ちょっと言葉が足りないけど、そういうことらしい…。






話がだいぶ遠回りになった。


結局何が言いたかったかというと。

秋。

それは言わずもがな。

スポーツ。

食欲。

読書。

芸術。

旅行。

などなど…。


前述の①〜④を刺激するのに恰好の季節。

自分に変化を起こしやすい季節。

そんな時期。


も少し、ちょっと、変わってみたい。

新たな出会いを求めてみたい。

ダリ回顧展に行ってみたい。

マジック、その発想や原理を探ってみたい。

LIVE行きたい。ケツメイシミスチルよかった。面白そうなのないじゃろか。

ナビスコカップ決勝行きたい。今から予約しないとチケットって買えないんだろか。

旅にでたい。日本でもイイや自転車で遠出程度でもいい。

i pod shuffle買いたい。でも1Gって少ないかな。

DS欲しい。カブトレやりたい。

まともな言葉で話したい。まともな言葉で説明したい。

知識を体系立てて、リンクさせたい。

自分の仕事に対してホンの少しばかりでも自信をもちたい。

おもしろい事が言えるようになりたい。

美味しいものが食べたい。オリジン弁当は飽きるの。

株式、国債買いたい。

日経を深く理解して読みたい。

世の中の成り立ちを知りたい。

携帯変えたい。ワンセグじゃなくても良いの。

生きる知恵を身につけたい。不器用な自分は疲れるの。

柔軟な身体にしたい。そしたら、思考も柔軟に?

ダンスがしたい。aero、street、pop、音楽に合わせて踊りたい。

笑顔でいたい。そしたら脳神経からのフィードバックで脳も?

均整な身体にしたい。品庄の庄司はやりすぎじゃない?

余裕でいたい。

ワンパな自分の思考回路を変えたい。

成長したい。




まぁ、二足歩行する人間は、潜在的に常に安定と不安定を混在させた動作を宿命付けられているのかもしれないし、もしくはそのループ自体が快楽であるからこそ、それを求めざるをえないのかもしれない。

また一息ついたら、降りだしに戻ってるかもしれない。

けど、また歩き出すだろう。

時間が経ってみないと、実際にやってみないと、わからんことがたくさんあるんだろう。

でも、やっぱ、できるだけ早くわかりたいから。

ついつい焦っちゃって。

頭でっかち。身体カチコチ。






ところで、また脱線すると、昨今の脳トレブーム。

ありゃおかしいだろ。

自分も今まで脳と身体を敢えて分けて書いたけど、所詮は一つで相互に作用しあってんじゃねーの?

ってことは、画面に向かってペン先動かす程度の動作で脳の全てがトレーニングできるわけじゃねーし、能(脳)力の一面を反映させているに過ぎない訳で。

あたかも脳だけトレーニングすりゃオールOKって言うイメージを抱かせすぎるのは頂けない。

「考えて走る」「走りながら考える」

至言だ。

でも結局、走るってことも、考えるってことも環境から・・・以下略・・・。



今日は、最近つらつら考えてたことを精一杯書いてみた。

夜のテンションがそうさせちゃうんだろうな。

でも、スッキリした。