365歩のMarch♪

今の自分にふさわしい未来がやってくる。


最近

仕事をしていて

つくづく思うのは

もう何度も繰り返しているけれど

人の身体は一つに繋がっている

と言うことと

ほんの些細な刺激でも変化してしまう

と言うこと。



一つ目は

各関節は

それ自体単独で

成り立っているものでなく

他の部位との

相互関係によって

成り立っていて

問題が表出している部位だけみていては

解決にはならないということ。

時には

全然関係ないと思われる場所が

影響していることが多々ある。

そんな訳で思うのは

筋肉とか

骨とか

神経とか

内臓とか

そんな呼び名は

きっと

人が

便宜的に分類しただけであって

お互いが

お互いに

影響を与えているはずだと

確信を持って思える。

だから

極端に言えば

内臓疾患だって

筋骨格系からの操作で

症状を変化させることが

可能なんじゃないか

って夢想する。

例えば

風邪を引いたとき

身体の節々が痛む

なんてのは

まったく関係ないことはないという

一つの証では無いか。

中国で

頚部のマッサージを受けた時

喉の痛みまでとれたのは

これまた一つの証では無いか。

そんなことを考えると

もっともっと

自分にできることは

あるのかもしれない。

暴論だけど

この可能性を考えると

ワクワクしてくる。



二つ目は

例えば肩関節を外転させて

内転方向に負荷をかけた時

三角筋に触れてるときと

大胸筋に触るときでは

力の入り方が

まったく変わってくる。

それはもちろん

触り方の強弱で変わるのだけれど

弱く触ったとしても

変化する。

だからもしかしたら

ピンポイントで

適切な刺激を加えることができれば

いろんなことをしなくても

問題は解決できるんじゃないか

って思う。

とすると

今やってることを

短時間で

お互いに負担なく

もっと効率的にできるんじゃないか

そう思う。




そんなことを想い

人というものを考えた時

当たり前だけど

自分は自分だけで存在する訳でなく

周りの存在があってこそ成立する

そんな存在で

まったく関係ない人が変わることで

もしかしたら

自分自身も変わってしまうかもしれないし

その逆も言える。

そしてまた

ほんの些細な出来事でも

その影響は

計り知れないほど

受けるのかもしれない。

であるならば

自分がちょっと変われば

世界は変わる

のかも知れない。


ただ

悲しいかな

その変化するための刺激は

何が適切なのかは

わからない。

そして刺激が入り続けないと

また使い慣れた

思考法や

行動パターンに

戻ってしまう。


何かの本に

感情は受動的な体験で

与えられたものであるため

決して長続きしないものだから

それを能動的な体験にするには

形にするための行動に移す必要がある

なんてことが書いてあった。

つまりは

感謝や

喜びを

感じたならば

言葉だけでなく

行動で示せよ

わかりやすい形で残せよ

そういうことをすれば

自分の中でも

その感情は残っていくものだ

と言うことらしい。


なかなかに名文だと思ったのは

一時的に感情が高揚するだけなら

それは動物と変わらない

と言う一説。


冷めていく感情を

消えてしまう感情を

能動的な行動に変えるように

心がけること

努力を怠らないこと

そういうことが

感性豊かな人間に変えてくれる

そんなことなんだろうか。



だから

良い刺激を残すように

行動して

その刺激を継続させれば

きっと

自分が変わって

環境が変わって

世界が変わっていく

・・・


なんて

初めの書き出しから

だいぶ話が大きくなってしまった・・・。


言葉足らずで

脈絡がないけど

今日はもう遅いので寝ます。


zzz・・・.