365歩のMarch♪

今の自分にふさわしい未来がやってくる。


今日は

いつにもまして

感傷的だ。

まとまりの無い

支離滅裂

脈絡のない

文になると思う。



今日

終わった。


あの時は

たしか28日。


2日前。


ほぼ

丸5年。


5年という月日は

これから先を思うと

長いけれど

過ぎてみれば

あっという間だ。


思うのは

伝えたいことは

どんなカタチであれ

どんな方法であれ

伝えておかなくてはならない

届けなければならない

ということ。


いつか

相応しい時にでも

なんて思ったって

そんな

「いつか」は

来やしない。



あの時は

全然

足りなくて

それが

涙も出ないほど

情けなく

少しでも

届けられたら

そんな思いで

続けてきた。


そして今日

振り返ってみると

やはり

足りなかったなと

思う。

ただ

今回は

自分で決めたことなので

もう

引き返そうなんて

考えない。


二度と

こんな思いはしたくない

そういうことが

頭によぎるだけ。




弱さに流されたくなかった

そんなことも思った。

結局

弱さが出てしまったのかもしれないけれど

それも認めたうえで

決めたこと。

流されたわけじゃなく

それを受け入れた。

少しは

成長したんじゃないだろうか。


自己弁護。



ここ

まさに

置かれている

状況。

それは

自分に責がある。

そんなことも思った。

人は環境から多くの影響を受け

自己の意思と呼ばれるものを生み出している。

それを

するか

しないか

だけしか決められない。

脳科学的にはそうらしい。

でも

その環境に対して

能動的に

働きかけることも

可能なはずだ。

と思いたい。

相手がいると

とかく

依存してしまうことがあるけれど

手を変え

品を変え

知恵を絞って

あらゆる方法を

模索する

そうしながら

環境を変え

自分を

望む

自分に変える

そんなことだって

できないことじゃないはずだ。

だから

自分次第。

どれだけ強く

気持ちを持っていられるか

自分と

向き合っていられるか

まぁ

いいやと

投げ出さないでいられるか

そういうことで

変えられるはず。



人が

抽象的な思考ができるのは

言葉があるから。

そんな事を

何かの本で読んだ。


以下はうろ覚え

いい加減。


言葉を使い

事例を抽象化し

その言葉の意味

だけでなく

文脈の中から

多くの

意味

物事

を想起していく。


言葉があるから

そういうことができる。


おそらく

この場所に

こうやって

だらだらと

書き連ねることは

自分にとっては意味がある。


これを書くことによって

自分の考えが

ある程度のカタチになる。

そしてまた

後で見返したとき

自分の中で

他の何かと繋がって

また新しい

カタチになる。



言葉は

言葉としての意味を持つだけじゃなく

つながりを持つことで

それ以上の意味を持つことだってある

もちろん

誤解を招くことだって

あるんだけれども

言葉を駆使して

表現することは

時に

予想以上のことを

現実のものとするはず。


だから

言おう

伝えよう

届けよう

書いていこう

それが

思うような結果を生みださなくったって。


言葉は諸刃の剣。

必ず自分に返ってくる。

positiveな事を発していけば…。



ということを思った。





心の底から

ありがとうございました。



-