365歩のMarch♪

今の自分にふさわしい未来がやってくる。

今日の午前中

母校である大学に行き

新入生の勧誘をしてきた。


それなりに

働けたと思う。


それにしても

華やかだった。

初々しいとか

ドキドキ

ワクワク

の空気が満ちていた。

職場が

高齢の方を対象にしているせいもあるとは思うが

生命力に溢れるというか

なんというか

不思議なpowerに溢れていた

ような気がする。


そんな

幼い彼らを見てると

うらやましいと

ちょっと思ったし

全然関係ないけれど

頑張って欲しいなぁ

なんて思った。


そして

自分も歳を重ねたのだなと

自嘲した。


でも

大学時代に戻りたいかというと

決してそうは思わなかった。


今日感じた

華やかさとは裏腹に

当時の自分は

焦りとか

不安とか

無力感とか

そういうものの方が

強かった気がする。

自分がこの先どうなっていくのかとか

自分の理想と程遠い現実に対して

いつもイライラを感じていたような気がする。


今は

当時

漠然と思い描いた事を

現実のものとしているし

様々な発見があっておもしろい。

無闇に焦ったり

不安になったり

そりゃ

上手くいくことばかりではないし

そういうことが無くなった訳ではないけれど

それを

ある程度置いておけるというか

それはそれとして

受け容れる

ということが

少しはできつつある

ような気がする…。


そして

異論は多々あるのは承知の上で書くが

うれしいとか

ありがとうとか

そういう気持ちを

素直に感じれるようになったとは思う。

人間らしい心を持つことができつつある

そんな感じ。


それはきっと

これまでの歳月で

起こった出来事や

出会った人々のおかげだと思う。


そんなことを思ったら

やっぱり

誰ともなく

感謝したくなった。



そしてまた一方で

自分は

やりたいことができていると書いたが

自分よりもいくつも歳の離れた人達に対して

自分の思うような運動をしてもらって

そこそこの結果がついてきて

「楽になりました」

とか

「ありがとうございました」

なんて言われた日には

そりゃ嬉しくないはずがない。

でも

それは

自分が凄い訳ではなく

その人自身が

自ら身体を動かすことによって

ある意味

自動的

楽になっている訳で

自分のしていることと言えば

ヒントを提供しているに過ぎないんだ

なんて思い

天狗にならんとこと

省みた。


歩みは遅いけれど

10年ぐらい経って

こんな事を感じているが

これから先

また10年経った時には

自らの行動に

表出できるように

なっていたいものだと思う。