365歩のMarch♪

今の自分にふさわしい未来がやってくる。

もう

何度も書いているけれど

この仕事は

信頼関係を築けなかったら

仕事にならない。


信頼というか

同意というか

共通認識というか。


そういうものが

お互いの間で得られると

言うまでもなく

良好な関係が築けるし

この仕事に就いたことの

喜びを感じる。


けれど

そこに至らないことだって

良くある。


そういう時は

つくづく

難しいなぁと思う。


距離感が難しい。


かなり確信をもって

問題点にアプローチしているけれど

嫌がられてしまったり

思うように効果がでなかったり…。


いや

効果がでない時は

優先順位が異なるんだろう。

主要な問題点ではないのだ。

それと同時に

やり方が良くない。


そういう時には

もう少し

詳細に診ることができればと思い

もっと優しく

もっと穏やかな手法で

効果をえられないだろうか

と思う。

そしてそのための

時間的猶予も欲しい

と思う。

何度も

何度も思う。


評価ができている

という確信は

思い上がり

以外の何ものでもないのだろう。


その不遜な態度が

知らず知らずに

伝わっているんだと思う。


そういう時に

信頼関係が築けていない

のかもしれない。



反省することばかり。

基礎から

勉強しなくてはいけないことばかり。



時々

「この骨のカタチが変形しているから…」

とそれっぽいことを言って

物療と

簡単なストレッチで

終わらせてしまっても

それはそれで

いいんじゃないかと

思わなくもない。


関わった挙句に

嫌がられるなら

一時的な効果や

大して効果のない方法で

お茶を濁す。

それで来続けてもらって

時間の経過とともに

緩解するのを待つ。

効果がなければ

「やっぱり変形があるから…」

「気長に…」

とたしなめる。


時間の経過とともに

緩解するのを待つのも

一つの方法だろう。


でも

「あまり変わらない…」

なんて言われると

申し訳なく思うし

何かできないかなと

考えた挙句に

今自分ができること

自分の思いつく方法で

対応する。


ここで効果が出れば

良好な関係が築けるし

少ししか変わらなければ

あまり宜しくない関係のまま

来なくなってしまうこともある。


そんな時は

前述のように

評価や

手段や

時間や

態度や

云々かんぬんと

反省する。


そんな毎日。


その一方で

痛みや

なんやかんやの症状は

その人が

そういう身体の使い方

そういう生活スタイル

そういう人であるからこそ

表在化しているという

面もあり

それこそ長期化してたりするから

なお厄介。

それをホンの一時の時間で

変えるのって

ちょっと

そりゃ

あんた

無茶言うなよ…

と思わなくもない…。


まぁ

それにしたって

早い段階で

有効な手立てをうてなかった

医療側の責任もあるかもしれないけど…。


とにもかくにも

そういうことを言い始めたら

それこそ仕事にならない。


良い信頼関係を築くために

より詳細な評価

より適切な手段

より相応しい態度

そういうものが何なのか

学んで

考えて

実践していく。


そういうことを

これから先

10年

20年

30年

投げ出さないで

やっていく。


それができたら

ちょっとは

満足して

死ねるかもしれない。


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