365歩のMarch♪

今の自分にふさわしい未来がやってくる。


分からないこと

知らないこと

そういうことが

分かることができる

知ることができる

というのは

すばらしいなと思う。


それと同様に

何が分からないのかということを

分かる。

何を知らないのかということを

知ることができる

というのも

すばらしいことではないか

と思う。


学生の時よく

質問しろ

というような事を言われた。


でも

そもそも

疑問が浮かばない。


そういうものなのかと

まず自分の中に落とし込む作業を

行わなければならない。


一つの知識が

単体でしか存在せず

その上

曖昧。


そんな調子では

問いは立てられない。


点在する知識を

線で結び面として

奥行きを加え立体的にし

自分の好みのカタチにしよう

という過程の中で

疑問というのは産まれるのではないか

と思う。


どうしたら

知識を

効率良く

自分好みのカタチへ

構築することができるのか。

何が必要なのか。

自分の手持ちの材料には何があるのか。

足りない材料は何か。

そういう思考を試みて

初めて様々な疑問が湧くような気がする。


今は

疑問だらけだ。


分からないこと

知らないことが多すぎる。


その分

大変だし

難しいんだけれども

勉強を重ねる上で

点と点が結ばれるだけでも

嬉しくなる。


そして

線と線を結ぶためには

何が必要だろうかと

また考え出す作業は

知的好奇心を刺激され

大変だし

難しいんだけれども

おもしろい。



今は土台すら築けていない。


でも

どのような

土台を築いていったらいいのか

おぼろげながら

見えつつあるような気がする。


何が分からなかったか

何を知らなかったか

そういうものが見え始めた気がする。

訳が分からず

ただただ

そういうものなのか

と思わなければならなかった時と比べると

分からなかったこと

知らなかったことを

勉強しようと思えることは

自分にとっては

すばらしいこと。



難があるとすれば

身近な人で

端的に疑問に答えてくれそうな人がいない

ことである。



でも

そういうものかもしれない。


なんせ

“自分好みのカタチ”

なのだから。

完成形は

自分の中にしかない。



点と点を結ぶ作業

線と線を結ぶ作業

立体的にする作業

その先に自分のカタチがある。


そのカタチが

人に受け入れてもらえたら

どんなに嬉しいだろうか。



そういうことを

夢想しながら

積み重ねていくしかないのかもしれない。


そのために

やることを

やらないと。