365歩のMarch♪

今の自分にふさわしい未来がやってくる。

 走ることについて語るときに僕の語ること


走ることについて語るときに僕の語ること

走ることについて語るときに僕の語ること



『与えられた個々人の限界の中で、少しでも有効に自分を燃焼させていくこと、それがランニングというものの本質だし、それはまた生きることの(そして僕にとってはまた書くことの)メタファーでもあるのだ。』(p.123  l10)



『効能があろうがなかろうが、かっこよかろうがみっともなかろうが、結局のところ、僕らにとってもっとも大事なものごとは、ほとんどの場合、目には見えない(しかし心では感じられる)何かなのだ。

そして本当に価値あるものごとは往々にして、効率の悪い営為を通してしか獲得できないものなのだ。

たとえむなしい行為であったとしても、それは決して愚かしい行為ではないはずだ。

僕はそう考える。

実感として。

そして経験則として。』(p.251 l14)



『個々のタイムも順位も、見かけも、人がどのように評価するかも、すべてあくまで副次的なことでしかない。

僕の様なランナーにとってまず重要なことは、ひとつひとつのゴールを自分の脚で確実に走り抜けていくことだ。

尽くすべき力は尽くした、耐えるべきは耐えたと、自分なりに納得することである。

そこにある失敗や喜びから、具体的な―どんなに些細なことでもいいから、なるたけ具体的な―教訓を学び取っていくことである。

そして時間をかけ歳月をかけ、そのようなレースをひとつずつ積み上げていって、最終的にどこか得心のいく場所に到達することである。

あるいは、たとえわずかでもそれらしき場所に近接することだ(うん、おそらくこちらの方がより適切な表現だろう)。』(p.253 l6)



先日の

この雑誌

内田樹の研究室

紹介されてたから読んでみた。

内田樹

ランニング論であると同時に文学論であるという不思議な書物です。

僕は「合気道論であると同時にレヴィナス論でもある書物」を書くことをライフワークにしているので、この本は今のところ最高の「先達」です。

村上さんはご本人が繰り返し言うように「文学的天才」にそれほど恵まれていたわけではないかも知れません。

でも、自分の中に潜在する才能(身体資源も知性も想像力も含めて)を最大限まで開花させるための努力においてはほとんど超人的です。

才能は学ぶことができませんが、才能を開花させる方法は学ぶことができます。

と書いてあったので

興味をもった。



村上と言えば

龍の方をよく読んでいたので

春樹は二冊目。


最近

走っているので

興味深く読めた。


思ってたより

ずっとphysicallyな作家なんだな。


少なくとも

あんなデブの龍が

サッカーを語るよりは

ずっと

ずっと

ずっと

説得力があった。



全然

短い距離だけど

ランニングが

人生のメタファーである

というのは

合点がいく。


走るたび

走るたび

幾度もの人生を

生きてるようなものなのかもしれない。


距離が

長ければ

長いほど

そんな想いが浮かぶのだろう。



この本は

きっと内容としては

ものすごーく地味だ。

(おっさんが走ってる日常について綴っているだけだし村上春樹じゃなかったら商品として成り立たない)


でも

ひどく真っ当な

真理がある。



この本を読んで

また走れる

そして

走るだけでない

モチベーションが湧いてきた。