「14歳の子を持つ親たちへ」韓国語版への序文
内田樹の研究室
より抜粋。
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専門的知識があるというのは「目がいい」とか「鼻がきく」とか「力持ちである」とかと同じようなたぐいの能力です。
「目がいい人」は遠くに見えるものを見えない人に教えて上げられるし、「鼻がきく人」は他の人が気づかないうちに火災の発生に気がついて避難指示ができるし、「力持ちの人」は非力な人のために重いものを持って上げられる。
それと同じように、自分が持っている能力は、それを持ってない人のためにこそ優先的に用いるべきだと僕は考えています。
「目がいい人」ばかりが集まって「どこまで遠くが見えるか」競うようなことをするより、「目が悪い人」のために遠くを見てあげることの方がずっとたいせつな仕事だ。
僕はそう思っていますけれど、こういう考え方をする人間は世界どこでも少数派です。
もちろん日本国内でも僕は少数派です。そういう少数派に共感してくれる人が韓国にもたぶんいるんだと思います。
僕と韓国の読者のみなさんとは海を隔てていますけれど、「教育を通じて次世代を守りたい。彼らを市場の消耗品にしたくない」と願っている、「専門知識はまず非専門家のために用いるものであって、専門家同士で優劣を競うために習得するものではない」と思っている。
どちらもそれぞれの社会で少数派ではありますけれど、この点については、ボーダーを超えて共感し、連帯することはできる。
そういうタイプの「グローバルなつながり」というのがあってもいいと僕は思います。