365歩のMarch♪

今の自分にふさわしい未来がやってくる。

昨日

部の懇親会で

USAから帰国したOGと10年ぶりに話す。


怪我の経験もあり

USAではPTのStatusも高いから

概要をよく知っていらして

話が通じて楽しかった。


これからどうするのか

ってな話の中で

USAへの留学とかも考えるのか

なんてことを何の気なしに聞かれる。


ドキッとする。


留学というカタチではないかもしれないが

考えてないことじゃない。

だけど…。


そして思う。

ある種の人達は

こういう事を平気で言う。

普通の人は

あまりそんな事を言わない。


似たようなことは前にもあった。


専門学校生の時

バイト先でたまたま話した人は

個人で起業しつつ

副業としてバイトをしてた。

話の流れは忘れたが

「PTになるのは手段なのか目的なのか」

と聞かれた。


この時もドキッとして

ちょっと考えてから

「手段だ」

と答えた。


ドキッとするような質問をしてくる人はあまりいない。


PTだと説明しても

良く分かってもらえないことがほとんどだし

それを職業にしたからといって

普通に(普通が何かは置いといて)

定年を迎えるんだろうなんて

勝手に想像してる人達ばかりだからじゃないだろうか。

おそらくそういう人達は

自分もそういう風に過ごすんだろうな

と思っているんじゃないかな。

だから人にもそれを当てはめる。


同じように

ちょっと変わった経歴の人も

自分の経験から考えて質問してくるのだけど

その経験が

人とは若干違うので

たわいのない質問に

結構ドキッとさせられるのかと思う。


たぶんその人達の感覚は

留学にしろ

起業にしろ

やればなんとかなっちゃうもんだ

そんな風に思っているんじゃないかと思う。


大抵は

大変だからとか

前例がないとか

不安定とか

そんな事を思うから

なかなか実行する人は少ない。


でも

やっちゃった人は

案外平気だったな

ぐらいの気持ちでいるんじゃないかと思う。



う〜ん。

話がまとまらなくなってきた。



要は

「無理だ」

と思ったことは大抵できないけど

「今すぐには難しいかもしれないけど

そのうち

できるようになったりするんじゃないかなぁ

まったく無理ってことないよなぁ

なんか良い方法ないかなぁ」

って思い続けてるものは

思い描いたものとまったく同じとは限らないけれど

少なからず現実になるんじゃないか。

そんな風に思った。


単純にいえば

諦めなければ実現するかもしれない

ってことかもしれないが

そういうことが言いたいんじゃなく

諦めるとか

諦めないとか

無理だとか

できない

なんて思考に至りもせず

意気込むことなく

ただ自然と

なにも特別な事をするなんて

意識もなく

「できるんじゃないかな」と

可能性を模索してれば

漠然と信じていれば

きっとそれは

実現するんじゃないかなと。


結果を急くから

無理だなんて思考に至りやすいんだよな。

自分という器が決して変わらないという

固定観念こそが

思考を偏らせる。

自分は変わる。

器は変わる。

器が変われば

世界が変わって見えるもの。

どう変わるかは

誰にも分からないんだけど。






何が言いたいのか

良く分からなくなっちまった…。

まどろっこしい文章だ。





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