365歩のMarch♪

今の自分にふさわしい未来がやってくる。

死と身体―コミュニケーションの磁場 (シリーズ ケアをひらく)

死と身体―コミュニケーションの磁場 (シリーズ ケアをひらく)



「むしろ危険な状況になったときは身体感受性を最大化すべきでしょう。

自分の周りに起きたこと

普段ならば意識にのぼってこない微細な情報

あらゆる状況の変化に反応できるように

液状といっていいほどのやわらかい身体にして

ほとんど微笑むように

全身をリラックスさせておく。」(p.066)



「相手の言葉が自分に届きましたよということを相手に示す一番効果的な方法は

同じことばを繰り返すことです。」(p.084)


『コミュニケーションには

意味のあるメッセージを伝えるためのコミュニケーションとは別に

「コミュニケーションが成立している

コンタクトが成立していますよ」

ということを伝えるメッセージがあります。』(p.084-085)


『映画を見た方は覚えていらっしゃるでしょうが

この2人は駅で延々と同じことばを繰り返すのですね。

「いい天気ですね」 「いい天気です」

「あっ、あの雲。へんなかたちしているね」 「ほんと、変なかたち」

と同じことばを反復する。

そのシーンで

このふたりが口には出さないけれど

深く愛し合っていることが画面からひしひしと伝わってきます。


「愛している」なんてことばをわざわざいう必要はない。

あなたのことばはわたしに届いた。

自分たちのあいだにはコンタクトが成立しているということを確認して確認していくら確認しても飽きない。

それが愛し合っている状態です。

それでいいわけです。

コミュニケーションをひらくコミュニケーション

あるいはコンタクトが成立していることを示すコンタクトです。』(p.085)



『教養とは

端的に言えば

ある事実を

それとは無関係に見えるような別の事実との「関係性」のうちに置き直す力と言い換えることもできます。』(p.104)



『多田先生がよくおっしゃるのは

「技が完全に終わった状態の体感をクリアーにイメージしておいて

そこに身体を放り込め

ということです。

時間的な比喩を使って言うと

技が終わった状態を「現在」にしておいて

今技をかけている状態を「過去」とする。

未来の状態を先取りすることで

相手を時間的に「絶対的な遅れ」のなかに取り残して。』(p.129)



『わたしがそれになりつつあるものを

すでになされたものと思い

なせ』(p.146)


『そのことばは

「まだ語り終えていない当の物語を

すでに語り終えた人が

回想する」

という仕方で語られます。

「前未来形で語る」というのは

そういうことです。』(p.147)


『前未来形で前倒しできる最遠にして最後の時点は「死んだ後の自分」です。

それ以上先にはいけません。

「死んだ後の自分」を「現在」に想定して

そこから自分の過去や「これから死ぬまで」に経験した(ことになっている)さまざまの出来事を静かに回想的に語れる人

自分についての物語を語り終えた人のことを古来

ぼくたちは賢者 名人 聖人というふうに呼んできたんじゃないでしょうか。』


『「死んだ後の自分」から今を回想できない人間

胆力がない人

危機的状況をリアルタイムで生きてしまう人間は

たぶんいきなり死んでしまうのです。』(p.149)




まだ

気にとまった文章はいくつかある。

こうして書き出してみると

いくつか身に沁みる言葉がある。


「死んだ後の自分」まで想像することは困難であるけれども

「この先自分がそうありたいと思っている自分」というものを想像して

「その自分であれば物事に対して どのような振る舞いをするのか」ということを仮定して

そのように振舞っていくことはできる。

最初はできたりできなかったりかもしれないが

繰り返し繰り返し行うことで

修正され自分の自然な振る舞いとなっていくのだろうと思う。



そうそう

ここには書いてなかったけれど

最近ダンススクールに通っている。

ある程度振りが覚えられれば

踊れるかというとそうではない。

振りを覚えて

リズムをとって

その上でやっと

ダンサブルであるためには

ということが意識される。

この時

実はもう

あまり振りは重要ではなくなっている。

振り通りに“カタチ”を作ろうとすると

ぎこちなく

却って動けない。

意識するのは

ダンサブルに踊れている自分である。


キチッ

キチッとした

振りを続けるのではなく

リズムに合わせ

滑らかに

ダンスをしている自分を

思い描きながら

練習すると上手くいく。


この時

こんなに成りきっちゃって

恥ずかしいな

なんて思ってると

全然上手くいかない。


自分は上手く踊れている

踊れるんだ

大袈裟に言えば

“ダンサー”に成りきっていると

自然とできるようになっていく




だから

「この先自分がそうありたいと思っている自分」を

より具体的にイメージしつつ

成りきって

立ち振る舞っていきたい。