365歩のMarch♪

今の自分にふさわしい未来がやってくる。

 私の身体は頭がいい


私の身体は頭がいい (文春文庫)

私の身体は頭がいい (文春文庫)



『師匠に過大な期待を寄せ 師匠におのれの「魂の救済」までをも求める というのは弟子としてとるべき道ではない

〜中略〜

「師に仕える」ということは そのこと自体がすでに強烈な快楽を伴った行為である。

師を崇敬する身ぶりの一つ一つは深い満足を弟子に与える。

〜中略〜

師弟関係はそのようにして その場で その瞬間ごとに完結してゆくものだ』(p.30-31)




『「天運」が大きいと「税金」も高い。

〜中略〜

甲野先生のお薦めは「まめに税金を払う」ということであった。

つまり 運気が向いて 良いことが起こったら その利得をすぐに他の人に分かち与えて 天運が伴う悪運を払うのである

(もちろん順番は逆でもいい。

自分のもっているよきものを他人に与えた人は それによって運気を呼び込めるのである)。』(p.48)



『反証を容易にするために守らなければならないルールは比較的単純である。

(1)できるだけ一義的な述語を用いること

(2)できるだけアクセスが容易なデータを論拠とすること

(3)できるだけ単純な命題に取りまとめること。』(p.93)



『病とは「固着すること」である。

意識がある一転に集中し

凝結し

身体的に徴候化すること

それが「病」である。』(p.116)


『活性化ということに焦点を当てて考えると

ある能力や資質を選択的に強化するときには

それを否定するようなファクターと対立させると効率的である。』(p.225)


症候が「作品」であるとすれば 治療者はその作品の「解釈」を求められていることになります。

もし その治療者の「解釈」が患者が発信しようとしていて 身体的に徴候化していた「言葉にならないメッセージ」に触れることができれば 患者は救われるわけです。


ですから 症候というのは いわば患者からの「私の発する 謎の言葉を解釈せよ」という挑戦と考えていいと思います。

その拒食症の患者さんの「私はこのまま死んでもいい」というメッセージは 「謎の言葉」なんですね。

「その言葉を解釈せよ 私を解釈せよ」というメッセージをその患者さんは発信しているわけです。

その結果 治療者がその患者の信号に注目し その症候の「意味」を考え始めるとすると そのことだけで患者はすでに癒されていると考えていいと思いますよ。』(p.250)




ふむふむ。

なかなか示唆に富んだ内容でありました。


腑に落ちるのである。